「Tポイントカードはお持ちですか~?」ってうざすぎ!
Tポイントカード?うっとおしい!
ファミリーマートで買い物をするたびに店員から聞かれるのが、
Tポイントカードの有無。
「Tポイントカードはお持ちですか~?」って、正直やめてほしいよね。まじでうざい。うざすぎて吐き気がする。Tポイントカードなんて、私は財布が膨らむので持ち歩いていませんので。
そもそも200円で1ポイントしかつかないくせに、あんな分厚いポイントカードを持たせるなんて負担を押し付けないでほしい。しかも聞かれた当事者だけでなくレジの周りの他の客にも迷惑。
ためしに、ちょっと混雑しているレジの様子を遠くから見ていると面白い、というか気味悪い。客一人一人にお辞儀をし、Tポイントカードの保有を確認し、またおこしください、と締めくくる。
まるで機械だ、ロボットだ。私は直感でそう思った。たぶん日本文化の根源には動物的な部分を隠し「もの」になりきることが「清潔」・「丁寧」であると認識する部分があると思う。
こういう主張はたまにヤフコメ(低知能な大衆の集まり)でも見かける。でも決まって、マニュアルだから仕方ない。そんなこと言うのはお前の器が小さいだけ、とかいうわけわからない反論をちょくちょく見る。
不思議な現象だと思った。私たち日本人はなぜか、ロジックの話をしている時に、突如として無関係な「礼儀」の話に飛躍することがある。
どうやらこの日本という国の中では非当事者が他者に対して礼儀を押し付けることが普通であるようなのだ。そもそもお前は日常坐臥でそれだけ礼儀正しい生活してるんだって話笑。突然偉そうに人を礼儀面から指弾する、心の狭い下卑た大衆である。
会社員になると痛感するよ。
基本的に会社員になれば学生とは比べられない頻度でコンビニを利用する。その際Tポイントカードの有無をいちいち聞かれるのは本当にうっとおしい。
200円で1ポイントだが、それに満たない時でも店員はカードの有無を尋ねてくるから手に負えない。
なぜこの行為を合理化できないのだろう。もちろんこれは本部がマニュアル化しているから店員は何も変えられない。それはわかっている。だから私は各コンビニの本社・本部に憤っているのだ。
Tポイントカードの有無なんてレジ前に「カードをお持ちでしたら提示してください」と一言書かれたプラカードでも下げていれば、それで済む話である。
もう一つ言わせてもらえば、両手を添えたお辞儀もいらないし、またお越しくださいませ、も必要ない。そんな形だけの空虚な挨拶をしている暇があるなら一秒でも早く並んでいるお客をさばくべきだ。10人くらいに連続して上記の行為を行っている店員を見ると本当に気持ち悪くなる。まさにロボットだ。日本文化の恥部を目の当たりにした気分になるからだ。しかしバカどもは、「立派だ」、「これが仕事だ」などと間抜けな言質を披露してくるから笑うしかない。そういうのを奴隷根性と言うのである。
私に言わせれば、
同じ動作をまるで機械のように繰り返す気味の悪い光景にしか過ぎない。
日本は中身のない形式主義の文化?
日本文化ではとにかく人間がモノになることを美とする節がある。その最たるものが先に挙げたコンビニ店員の無駄な挨拶、やりとりである。日本の文化は動物的なもの・ことが嫌いなのだ。動物臭いことが不潔・いけないことだと、日本文化の根っこに染みついている。
実は日本文化の心根は、形だけ取り繕えば満足する卑小な文化なのだ。
「言わりよければすべてよし」=「外見良ければ中身良し」
そんな国、我らが日本。
(あれ、タイトルと関係ない結びになっちゃった。)
「新品主義」があなたを貧しく不幸にする。
そこまでして新品がいいの?
私たち日本人はどんなものでも「新品」が好きだ。新品を手に入れたがる。
中古?うわっ汚い!そんな感情を持つ人が私の周りにもとても多い気がする。
車なんか中古になれば数万円、数十万円値下がりする。それだけ新品状態での需要が高く、中古車を毛嫌いするからだ。
本当に自分が求めるものは新品でなければならないの?
そう、まず改めて問い直そう。
もちろん新品でなければならないものもある。でもそれは下着類だけだろう。
日本人の心にはなぜか「新品だけ」がきれいで清潔だと染み込まされている。
日本文化はものにまで魂を宿してしまうため、一度人の手に渡ったものは汚れたものという認識が知らずのうちに組み込まれているのだ。
スマホ、洋服、家電類、それらを新品で求める人ほど貧乏になる。高価なものは富裕層だけが新品で買うべきだ。富裕層が買い替えで手放した時に中流層が中古で手に入れればいい。
考えてみてほしい。最近のIphoneは10万円くらいだが最新型を新品で手に入れる必要があ、万人にあるだろうか?使いこなしているとはどれくらいだろうか?
最新ものを手に入れなければならいと思うその先入観を捨てよう。まずはそこから。
中流層以下は中古iphoneで十分だ。貧困層はそもそも最新型スマホを求めるのが間違ってる。Iphone6や5s辺りを中古で買い、格安シムで運用するべきだ。
概して貧乏人はお金を使い方が下手だ。
「お金を節約することはそれだけ稼ぎが増えたことと同義である」という認識をまず持とう。
長財布は重くて邪魔!
ピン札のお札なんてどうでもいい。しわくちゃでもお金はお金だ。お金は社会での行動力を表す単なるポイントに過ぎない。それを改めて認識しよう。お金に使われるのではなく、お金を使ってやろう、そういう意識がちょうどいい。
外見よりまず中身を磨こう!
てっとり早く外見ばかり意識して整えがちだが、中身をまず磨こう。自然と外にあふれ出るような中身のある自分を持とう。
新品への過剰なこだわりはあなたを貧しく不幸にする。「モノ」に囚われるな。
岩手県で幸せになる方法は!?
岩手県、盛岡市でどうやって幸せを手に入れるのか?
結果、
1位 公務員(警察、市役所・県庁勤務、公立教師)
3位 生涯独身を貫く
上記3つしかないと私はここに断言する。
地方公務員はイージーな人生!
1位の公務員についてはもう説明不要でしょう。彼らは驚くほど高い年収を貰いながら自由気ままに人生を謳歌していきます。
特に警察は何も知らない一般市民からの信頼されるので、地方においては市民からのバッシングも少なく働きやすく「良いお仕事」です。
よほどのことがない限り公務員はクビならず、給与も安定し上がり続け退職金は民間の2倍近くもらえます。なんという待遇のよさ笑。
優良企業でまったり働こう!!
2位の優良企業とは、岩手日報や各テレビ局や銀行です。彼らの給料もとても高いです。東証一部上場企業なみの年収をもらいながら最高の福利厚生を享受することができます。地元民からの信頼も厚く、勤めていると「すごい、頭いいんだね!」などと称賛されます。親から見たら一族の誇りでしょう。それだけやりがいがあり社会的意義のある仕事をする会社です。
どうせ地方で働くなら地方の発展に貢献しましょう。地元民の役に立ってる・地方経済を支える仕事は毎日の充実感を高めてくれますよ。低年収の底辺職の人たちとは違い、簡単に銀行ローンも組めるので広くて大きな家を建てられます。家族で幸せな人生を謳歌できそうですね!上記会社に就職したら一族全員から羨望のまなざしで見られます。優秀だね、岩手を支えているね、と尊敬されます。中小企業で経営者の奴隷になっている底辺とは違い、最高の人生でしょう!?岩手日報・岩手銀行のような優良企業に入社できたら、そんな人生があなたを待っていますよ!
独身こそが最大の節約だ!!!
3位 これは生涯結婚せず独身を貫くという方法です。これは人生のコスパを考えると自然に行き着く1つの答えです。
まず結婚しないとパートナーを養わなくてよくなります。それだけで数百万円の節約?でしょう。そして子供を持たなければ2000万円ほど、また節約したことになります。だって子供一人を大学まで行かせたらそれくらいかかるのですから。そして車も持たなくてよい。だって幼稚園の送り迎えとか必要ないんですよ?趣味がドライブならともかく男女問わず車はもう必要ありません!大抵の買い物はネットで済ませればよく、よほどのド田舎でもなければバスが街中を通っています。
これからはシェアの時代です。絶対生きるのに必要だと言えるもの以外はどんどん手放し、必要なときだけ誰かから貸してもらうのです!
自分なりにストレスフリーで自由な生き方を突き詰めてみよう!
どうでしたか?考えればあるものですね、岩手で幸せになる生き方。いい会社に入るか、徹底的な節約をするか、原則この2つのどれかです。なんとかして若いうちにこの生き方に乗りましょう!そうすれば岩手でも人生を謳歌できますよ。
地方(特に岩手県なら)では「警察」がおいしい仕事!?
警察の給料は高いよ!
(写真は警察庁で、警察の上にある組織です。)
地方において楽でお給料が高い仕事はなんでしょう??
その答えは警察です。
暇なとき、交番を覗いてみてください。笑顔で談笑する警察官を見ることができます。都会の警察と違い平和な岩手県では仕事が少ないのです。でも一般市民は「おまわりさん」というだけで尊敬し丁寧にあいさつもしてくれます。実際にはたいした仕事をしていないのに笑?
岩手県民はみなバカなので、仕事の本質を探ろうとしません。仕事はみんな忙しい。みんな給与は同じくらい。みんな大変なんだ、という安易な感想に着地するのです。
もっと世間を疑いましょう。物事の本質はうまいこと隠されています。
警察官の給与は恐ろしく高いです。
岩手県では年収600万もあれば楽しい人生を送れます。それを超える年収をもらう警察は本当にいい仕事ですね笑。
警察官はいつの時代も子供たちからは「ヒーロー」です警備員も同じで街で子供たちに、「お仕事頑張ってくださーい」と元気な声であいさつされます。本当に楽しそうなお仕事ですよね。
ねずみとりに代表される市民いじめ、高圧的て無愛想な態度。それが警察官の平均的な姿であると私は思っています。警察は市民のために働いているではなく、自身のメンツとプライドのためだけに働いているのだと私は認識しています。
クビになることもなく、給与は年功序列で上がり続け社会的地位も「一応」高い。地方は事件・事故も少ないため、ぼーと時間をつぶしたりパトロールしているだけでも給料は発生します。
地方で最強の勝ち組、それが警察官です。彼らにとって無知が多い地方は働くには天国なのです。
ただ、パワハラは多いようです
どの県の警察かはわかりませんが上のサイトでは警察の実態が書かれています。パワハラやイジメじみたことも平気で行われる組織のようです。でもそれを差し引いても高い給与は魅力的ですよね。柔道や剣道の心得のある体育会の人には、なかなかいい環境なのではないでしょうか?
近年30代でも警察官採用試験にチャレンジできるようになりました!
地方にUターンして就活する人たちは警察官を選択しに入れてみてください。年齢制限も上がり30代でもチャンスがあります。30才の既卒でもチャレンジできるのです。
地方の警察官ほど「おいしい仕事」はなかなかありません。社会的地位も高い、いい仕事です。体力自慢や制服仕事が好きな人はぜひ狙いましょう!!
腕時計を新調しました。【G-SHOCK GD-100】
G-SHOCK(GD-100)最高!
腕時計は常に身に付けるものだから、自分が本気で気に入っている物だけを使いたい。
仕事中はWIREDの腕時計を使うことが多かったのですが、金属ベルトは腕が痛くなる。重いしね。
そこでGーSHOCKに替えました。10年くらい前にAW-590というシリーズを買って以来ちょくちょくプライベートでつけていましたが、使いづらい時計でした。というのはデジタルとアナログの表示形式だからです。通称「デジアナ」。
AW-590
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アナログ針がデジタル液晶に被るときに見づらくなるし、なにより時刻合わせがめんどくさい。デジタルはすぐ調節できるのだが、アナログが問題でした。針を戻すことができないので、正確な調整に時間がかかる。
しかもデザインがなんか子供っぽい。ほんとなんで自分はこれを買ってしまったのだろうと今更後悔しました。金属べセルと赤色の短針がちょっとおもちゃっぽいんだよね。
GD-100を手に入れた!
そしてついに近所の古着屋でGD-100シリーズのブラックを見つけたので購入してしてしまいました。シンプルなデジタル液晶のG-SHOCKです。
スーツを着て普段働いているので袖に引っかかるのが若干気になりますが、まあそこは慣れるでしょう。
重量が若干増えた気がしますがそこまで気にならない。ただボディがすごい大きいので私のように細腕だとちょっとオーバーサイズ気味。鍛えるしかないかな??
いわゆる反転液晶タイプで渋いです。バックライトは青く光ります。
中古でベルトに傷もありましたが、てもかっこよくて気に入っています。G-SHOCKの中では一番デザインが好きです。おそらく一生使い続けるでしょう。
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オンラインサロンは「空間商材」!!
オンラインサロンってなんなの?
最近ネット上で話題になっているのがオンラインサロンへの勧誘。
しかも著名なブロガーが自身への有料サロンへの入会を勧めている。
ツイッターで話題に上っているのが、「イケハヤ」と「はあちゅう」の2人。
またイケハヤ氏とはあちゅうさんが大学に行かずにサロンへ入るよう勧めているので、注意喚起しておきます。
— 藤田華鳳 (Kaho Fujita) (@Kaho_yurucareer) September 24, 2018
まず、イケハヤ氏は早稲田大学卒業後半導体メーカーのルネサスに就職、はあちゅうさんは慶応大学卒業後電通へ就職しています。
大学へ行きながらサロンに入ることはできないのでしょうか?
大学に意味はない。サロンのほうが有用だ、という趣旨のようですね。
この二人は言わずと知れたトッププロガーで、はあちゅうは最近結婚相手に関しても話題に上った。
メディアにもたびたび登場しその美貌から女性からも多く支持を得ているらしい。
しかし今回の騒動でその2人の信用は下がるのではないか、と私は推測している。
原因は冒頭に述べたようにオンラインサロンへの勧誘にある。大学に行くよりサロンのほうが学びが多い、という旨の主張をするのだが、どうだろうか?
大学と違いサロンなんか卒業?しても、何ら世間からの信頼は得られない。
世の中には情報商材というものがあるのです。メールで営業をかけて、「これこれすれば儲かります!急いでこの情報を買ってください」という「あれ」です。巷にあふれるこの手の情報商材は、結果を何ら保証しない詐欺的なものが多い。
サロンは「空間商材」?
私はオンラインサロンもこれと似たもの、つまり「空間商材」ではないか?と考えています。
空間を与え、雰囲気に酔わせ満足させれば、料金に見合った「サービスを提供した」と言い張ることができる商売。なんと容易い商売だろうか。
もちろん価値がないとは言わない。当事者の充実感がその場に発生していれば、それもまたビジネスなのだろう。
突っ込んだ表現をすれば、「楽しい雰囲気」をサロンのメンバーに与えればよい集まりとも言える。つまり自己陶酔をするだけの学びの実態がない、空虚な集まりではないだろうか。
有名人、美人、イケメンであればすぐ人が集まる。しかしこれは資本主義の欠点ではないかな、と思います。
有名であること、容姿が美しいことは直接社会の発展の寄与することを、そのまま意味しない。人間はすぐ見た目に騙される。と考えれば人間の欠点に目を付けたうまい商売ともいえますね。
お金は社会の発展のため、人類のため使うべきものだよね? サロンで行われていることが学問ではない以上、そこに所属することはなにも価値を生まない。ただサロン主催者の養分になるだけ。大学で行われていることは学問であり、国からの助成を受けている意義の高い研究もたくさんある。
しかしサロンはそうではない。学問ではなく、結果も保障されているわけではないのだから、安易にサロンに入会するべきではないだろう。
サロンのような「集まり」に意味があるとするなら、「人脈を築く」ということのみだろう。もちろんその人脈が当事者に有用であるかは不明。ただ有名人のミーハーの集まりでしかないことも充分ありうるから。
大卒という資格は人生の選択肢を増やしてくれる
私はサロンなんかより大学に進学するべきだと思う。大卒要件は将来海外で働こうと思った時にビザ取得の際の大いに役立つ。中卒ではなかなかビザが取れないそうだ。大学はその設立に国からの厳しい要件をクリアしている。だからこそ大卒という資格は世間で大きな信頼を得る。
サロンに過剰な期待をしてはならない。
大学で学びながら、人や企業とつながり、学問をしながら選択肢を広げていくことが最良の選択肢だろう。
現代資本主義の欠点とは?
資本主義の欠点は「貢ぎ」
それはAKB商法に代表される「貢ぎ行為」である。
この行為は社会の中でなにも価値を生み出さない。非生産的そして退廃的な文化の1つだ。ただお金を消費するだけ。貰う側は何もせずお金を収奪する。消費する側には高揚感・満足感があり、不満を持たないため他者が非難しづらい。しかし社会の中でなんら価値を作らない、非生産的な消費活動は咎められて当然だ。
貢ぎ=価値不在の自己満足贈与
こうした貢ぎ行為にハマル人たちは社会の中で「自由演技」が出来ない人たち。言われたことしかできない、人生の目標が無い、つまりは意志と心が弱い人たち。彼らの人生には常に奉仕する対象が必要だろう。大体において彼らは権威にも盲従するタイプなのだから。
残念ながら、現在その貢ぎ行為を咎める法律が無いため放置されている現状である。それは現代社会における最大の欠点であり資本主義の「穴」でもあると認識している。
この貢ぎ行為はもっともお金を楽に稼げる行為だ。
いつの時代も資本主義の中では、「バカにお金を貢がせること」が手っ取り早くお金を稼ぐ手法である。しかしそれを公にする事はタブーになってる。
そして、その貢ぎ行為の極地が「宗教」という洗脳ビジネスだ。
資本主義は最終的に、特定の個人を盲目的に信仰させる「宗教」を生み出すことをはらんでいる。資本主義の中では公正で平等な競争は実は存在しない。競争は見せかけであり、本質は個人への「貢ぎ」だ。
そして貢ぎは本質的に排他的かる卑怯で不平等なものであるため、現在の平和主義とは折り合いがつかないこともあり、次第に世界の国々は社会主義・共産主義に似た新たなシステムに移行していくだろう。
人間にとって最良の社会システムは何だろう?
これから資本主義は崩壊していくだろう。資本主義は競争、つまり争いを含むシステムである。それでは一向に平和は訪れない。近い将来、AI(人工知能)が仕事をすべて奪い人間が働かなくてよくなったとき、お金という概念が存在しなくなり個人の欲求はすべて果たされる世界がくる。遊んで暮らせる時代が来る。資本主義でも社会主義でもない社会がそこにあるかもしれない。
そこで人間が人間らしく生きているだろうか?
本当に人間に、人間が考える平和が必要なのだろうか?
人間が生きていくためには一定の争いが実は必要なのでは?
という問いが次々頭に浮かんでくる。
遠い未来、社会を捨て人間はまた森の中で野生化しているかもしれない。猿やイノシシに混じり狩猟をしてその日の暮らしだけを考えていた、古代の暮らしに舞い戻っているかもしれない。