バカ大学と言われて怒るのはバカである証拠
東大生はひるまない
偏差値の低い地方国立大の学生が誰かから「バカ」と言われると、激怒し発言者に食ってかかる。
しかし東大生はどうだろう。
面と向かって「バカだな」と言われて東大生が憤慨するだろうか?
いや、絶対にしない。
「まあ俺なんて大したことないよ。凄いやつはハーバードとか行っちゃうよ」と軽く笑い飛ばすだろう。
実績を持つ者は批判や意見に微塵も怯まないものだ。
早大生に対してバカと言っても問題ない。実際、皆自らをバカだと自認しているし、
「まあ本当にできる奴は東大とか京大に進学するからね。」と言うだろう。
岩手県を例に出すなら、盛一生はバカといわれても涼しい顔だ。しかし学力底辺の○○高校などの生徒は激怒し憤慨する。
つまり、
バカと言われて怒るのは、自ら何かを達成した実績がないことを心の内で自覚しているからだ。
それを暴かれると不快になり、その真実を「失礼だ。」というコンテクストを無視した礼儀の押し付けで撥ね付けようとする。つまりバカは自分本位だ。
実績に裏打ちされた自負と自信
東大生、京大生、早慶の学生には受験で実績を挙げた、成し遂げたという自負と自信がある。だから他者から批判されてもびくともしない。
努力して何かを成し遂げた者には批判や批難なんて通用しない。
偏差値の低い地方国立の学生がバカと言われて怒るのは裏を返せば何の実績もないからだ。
隠していたい真実が暴かれてしまうから、うろたえてしまうのだ。
バカではない自信があるなら、堂々としていればいい。
バカでないなら笑い飛ばせ!
「俺の通ってる大学がバカ大学? まあそう言うやつもいるよね。」と笑い飛ばせばいい。
「言わせたい奴には言わせておけばいい」と泰然自若と構えるべきだ。それが真摯に本来学問に打ち込んでいる学生の毅然とした姿であろう。
自らの学力の低さをひた隠しする態度は学問研究にふさわしくない。
偏差値の低い地方国立に通う学生は現状に対する批判を受け入れ、成長していってほしい。