個別教室ト●イの偉そうな役員「I・J」(面接官)
役員「I・J」の傲慢不遜な態度
これは、東京で仕事を探していた時の出来事である。個別教室のト○イの評判は、世間一般では良いものだと「この時まで」私は思っていた。
※「個別教室ト○イ どうよ、評判」でググって検索しご自身で確認して下さい。
塾講師の仕事を探していた時「教室長職」の求人を見つけ、
「個別教室のト○イ」に応募した。
(※家庭教師のト○イで有名ですよね。そのト○イグループの関連会社です。)
書類を送って3日ほどで連絡が来て、面接に来てほしいとのことで、飯田橋からほど近い本社まで面接を受けに行った。
早めに着いた私にも原因があるが、休憩所みたいな場所(他のアルバイト志望の人もそのスペースで面接してた様子でした。)で結構待たされた。そして20分くらいして,
ようやく別室に案内され待っていたら、「コン、コン」とノックされ、私は「あっどうぞ」みたいな感じで受け答え面接官と対面した。名刺をもらった後、机に着席し、面接が始まった。
名刺を見ると、「I・J」という名前で「役員」※40代。
(以下略「I」)
言われたことは、
「じゃあまず履歴書通りに経歴を教えてください。」
「それと志望理由を」
ということで一通り話し終えたら、その役員Iが初っ端からずいぶん無礼なことを言ってきた。
I「~君は社会性が低いよね。なんでかっていうと、君は話している間、一切僕の目を見ないのね。」
私「は?だって履歴書を見ながら話してるんだから、そっちを見るのが普通では?」
I「 まあそうかもしれないけど~~」
また自分が履歴書の志望動機欄に「英語が得意であり勉強も教えられる」という旨の文章を書いていたから、
I「君は何か勘違いをしているみたいだけど、塾講師ではないんだよね。」ということも言われた。面接に来ている人間を、まるで見下すかのような無礼な口調に非常に驚いた。一体何様なのか。人に無礼な言葉をぶつけるほうが優しい言葉をかけるより効果的だとでも勘違いしているのだろう。
この「I」は他人に配慮することが出来ない、攻撃的な人間のようだ。自分の価値観を強引に押し付ける、こんな輩のような奴が中学生・高校生を指導してきたのかと思うとぞっとする。人に無礼な言葉を投げるこのIこそ社会性が低いと私は思う。
その後も大声で”ありがたい?講釈”は続き、勉強だけでなくバンドやって恋愛して東大に受かったやつが云たらかんたら。しかも気持ち悪いほど目をじーーーと見つめながらしゃべる笑。
「東大より早慶の方が使えるっていうデータも出てるのね。」
「営業ができないなんて”へたれ”は何処へ行っても通用しないから。」
「自分探しなんて単なる自意識だから。他者と出会いー」(斜めに人を見て説教臭い態度で)。
このIは「自分の考えや価値観を押し付けるタイプ」の人間に感じられた。大きな声で長々と恥ずかしげもなく自分語り。教育業界にいるべき人間ではないと私は思う。このIは教育業界の役割を何か勘違いしている。
東大合格者の5人に1人を入学辞退させる
一番驚いたのが、
”東大合格者に対し、「お前は東大に行かないほうがいい」と言い、5人に1人は入学辞退する。そしてそのあと感謝の手紙が届くことがある。”という話だ。
どうやらIは「勉強漬けはダメだ」という価値観らしい。勉強はセンスのあるやつがやればいい、みたいな価値観でもあるだろう。しかも恋愛ごっこをしなければならないと思っているようだ。疑問なのだが、恋愛はしようと思ってするものなのだろうか?しなければと義務に駆られて行うものだろうか?私は断じて違うと思う。恋愛行為は生活の中で自然に生じるから貴い人間の営為になるのだ。
その手紙を書いた生徒はIに言いくるめられて洗脳されたのだろう。可哀想なことだ。
「勉強漬け」でも東大に行けるなら進学すべきだ。東大や研究機関で実績を残す者は概して学問に没頭するマッドサイエンティストだ。学問研究は恋愛の片手間にファッション感覚で行うものでは絶対にない。このト○イの役員「I」は教育業界にいながら、この辺を理解できていないのだろう。
私はIに聞きたいのだが、
東大合格者を辞退させることに関し、Iに一体何の権利があるのか?
そこまで語るなら自身は東大卒なのか?(面接ではそこまで聞けなかった。)
将来学者になるかもしれない才能を潰して罪悪感を感じないのか?
はっきり言いたい。勘違いしてるのは役員I、てめえだ。お前がしていることは単なる洗脳であり教育でない。進路は生徒の心のままに決めるものだ。恥を知れ。
塾講師などの教育業界は、昔から職業上の序列は低い
そして聞いてもいないのにI自身の大学時代の就職活動の話も始まる始末。笑
「銀行には行きたくなかったけど、同期と一緒に先輩を話を聞きに言ったら同期が夢中になって~~自分はいろいろあってト○イに入社して~~~」
「んなこと聞いてネーよ」って心の中で思ってました。「いろいろあって」って結局就職活動失敗しただけじゃんって突っ込みたかった。笑
昔から教室長職なんて、「いつでもいける」職種だったからね。
続いて会社自慢。
「会社が30年続くことはすごいことなのね。」という意味不明な会社自慢(というか30年以上続く会社って実はたくさんある※特に地方では。)。
採用面接なのに大きな声で長々とどうでもいい講釈を聴かされることになった。なんか説教されてる気分になったのは言うまでもない。
とにかくこの役員I.は語尾に「ね」とつける。「~なのね、~だよね」。そして相手の話を聞かず偉そうに次々と自分の話ばかりをし続ける。「セットバック」だとか「通底」だとか”かっこつけ”の言葉を多用する。(自分を賢く見せたい愚か者にありがち。)
役員Iまとめ
・常に大声
・終始偉そうな態度と言葉づかい
・自身の価値観の、自己中心的で配慮のない押し付け(つまり社会性が低い)
一体何様なんだろうか。調べてみると、このト○イのグループ会社は人材派遣も行っているようだ。
人材派遣って単なる人身売買じゃん?
疑問なのだが、派遣業つまり中抜きがそんなに偉い仕事なのか?
本来人材派遣業は単なるサポート役で、先導役ではないはずだ。
私は結局選考を辞退した。こんな低レベルな役員と一緒に働きたくないし、この会社で学ぶことなど何もないと確信したからだ。この「I」の傲慢不遜な態度を私は二度と忘れることはないし、この「I」から受けた無礼な態度を生涯許すことはないだろう。
今後私は二度と「ト○イ」と名のつく物には関わりたくない。家庭教師のト○イ、個別教室のト○イは私に言わせれば、空虚な会社だ。全国的な知名度はあるが内容は5流以下だ。偉そうな役員がいる会社は、概して5流以下なのだ。
私は「ト○イグループ」関連の会社とは今後絶対に関わらない
せっかく合格した東大への進路を辞退させるなんて何様だろう。塾に通うのは学力を上げるためであって、人格陶冶を行うためでは決してない。それは学校がやるべきことだ。早慶より絶対に東大に行くべきだ。そこで出会う教授や友達の質の高さは、早慶でできる友人の比ではない。東大で出来る人脈は一生の財産である。
教師の国家資格も持っていない塾講師や教室長ごときが行える仕事ではないはずだ。塾講師、教室長職なんてのは生徒の学力を上げ、生活上の面倒を軽く見てあげる程度の、誰にでもできる簡単なお仕事のはずだ。
生徒の人生まで面倒を見たければ教員免許をとり、教師になって見せろ。教師という職は、学校教師はト○イなどの民間の塾の教室長とは比較にならない程、社会的意義のある仕事である。
この記事を読んでなお「個別教室のト○イ」に入塾したいものはすればいい。すべて自己責任でね。
多摩動物公園に行ってきたよ!~2018年6月まだ工事中~
今まで行くチャンスがなかったので、ようやく行けて嬉しいです。
園内は想像以上に起伏が多くしかも広いので、すごい疲れました。一時間30分以上歩き続けてやっと全部見終えた感じです。ただし昆虫関連は蝶の場所だけ見れました。他は時間がぎりぎりで残念ながら見れませんでした。
私は午後から入園しましたが、土日なら帰りの電車も猛烈に混むので、できれば午前中から余裕を持って見終える予定で行くべきです。
動物たち
コアラかわいいよね。
名前何だっけ?
湯浴み
寝顔もかわいいね。
リラックスモード?
オオカミに接近!
蝶って不思議な虫だよね。
森林浴に癒されて。
工事中の部分があり、でライオンが観れなかったのが残念でした。きりんは観れたけどね。
きっとまたくるよ。
盛岡市の法テラスが最悪だった。~地方は弁護士の質が低い~
盛岡市の法テラスの弁護士の態度が最悪
これは2015年の夏のこと。岩手県盛岡市にある法テラスでの出来事。
ほんと最悪の体験でした。盛岡の法テラスの評判・評価は実際どうなんでしょうか?正直私は二度と関わらないと思います。
平日、私は親の財産の相続のことで無料相談できる「法テラス」を訪れた。
少し待たされ私は相談室に案内された。部屋にいたのは黒縁眼鏡をかけた、30代後半くらいの中年太りのスーツ姿の人。もちろん弁護士だろう。ここは法テラスなのだから。
しかし相談が始まって、私はその「弁護士の態度の悪さ」に心底驚いた。
まず相談内容について、私の目の前でiPad をとりだし何やら検索し、
「あ、あったあった」とそのウェブサイトに書いてある内容を私に話し出してきた。私は頭にきた。ネットで拾うような情報を信じられるか!
しかもやる気がないのか、机の上にはポケット六法すらなかった。自分の仕事への矜持もないようだ。
なんていい加減なクソ弁護士だ。こんなやつが弁護士になれるのかと呆れると同時に失望した。
極めつけは私の相談内容に対し、
「いつよ?」という言葉遣いである。
なんて無礼で偉そうな言葉遣いだ。人としてのマナーも知らないようだ。
こいつは、バカ大学卒の底辺弁護士なのだと私は確信した。近年の司法試験改革によりバカでも弁護士になれるようになったのだ、新司法試験は旧試より何十倍も簡単な試験で、日東駒専レベルの底辺大学からも合格者が出てしまう。
招いた結果は司法の劣化である。
私は思うのだが弁護士などの司法の実践は、受験でまともな成績を残せた者に限定させるべきではないか?具体的に言えば旧帝一工早慶筑横の卒業生に。受験すら乗り越えられないバカに弁護士は無理だ。
まともな弁護士もいる
後日別件で相談で、もう一度訪れた際はパッと見60代の紳士的な弁護士の方が親身に、もちろん六法を机の上に置き、誠意ある対応をしてくれた。最初の日は私は運が悪かったのだろう。
概して法テラスには低レベルな弁護士が集まる
しかし盛岡市民は気をつけたほうがいい。盛岡の法テラスで、低レベルでクソみたいな弁護士に相談しても時間と労力の無駄になる。東京の法テラスでは、ここまで弁護士の質はひどくはないと思う。岩手県盛岡市のような地方には優秀な弁護士が集まらないだけなのだ。
法テラスは弁護士の報酬が安いのだ。だから皆やりたがらない。従って仕事をあまり取れない暇で無能な弁護士が集まる傾向にある。
法テラスの弁護士は、無条件には信用できないということを私は今回の出来事で学んだ。現在盛岡市に居住する人は十分注意して法テラスを利用してほしい。
猿島でラピュタを体感!
首都圏の秘境「猿島」
神奈川県の猿島という観光スポットに行ってきました!
地図で見てもポツンと浮かぶ小さな島なのですが、戦時中の遺跡がまるでラピュタだと話題になり一気に有名になりました。
想像以上に混みます
マイナーなようで実はメジャー。GW時期はとんでもなく混雑する。本来一時間おきのボートが30分おきに臨時で増発されるほど。夏休みシーズンも混みます。家族でバーベキューをする人が多いから。
なので、シーズンを外し涼しくなってから行くことをお勧めしたいです。海は正直きれいとは言い方ですが風景が絶景です。砲台跡付近から見れる景色は、天気が良ければ心に残るものになるでしょう。
島全体は一時間もあれば全部観光し終わります。途中急な階段もあり意外と体力が必要ですので油断せず観光してください。
猿島へのボートはめちゃめちゃ込みます!
猿島へのボートは三笠桟橋から出ていますが行きも帰りもめちゃ込みます。なので余裕をもって計画してください。行きに関しては午後からの便は空きます。でも帰りの便はびっくりするくらい混雑し、猿島の桟橋から売店のほうまで並んでました。(私が行ったのは5月下旬の土曜日です。)
食べ物は総じて高い
夏季には「オーシャンズキッチン」がオープンし海岸近くでも食べ物を販売していますがめちゃめちゃ高いです。カレーは1000円越えですが量が少ないです。味も普通かな笑?
ラピュタっぽいぞ~~~
熱心にこの猿島についてお話をしてくれる高齢の方もいました。貴重なお話ありがとうございました。
吸い込まれそうですよね。。。
トンネルは結構短いですね。
ちょっと坂道
砲台跡?
急な下り階段
祠?いや洞窟ですよ
何度でも来たくなる猿島。もちろんまた来ます!
ということで、猿島へ行きましょう!
きれいな海が待ってます。
夏には絶対訪れたくなるスポットの1つ、猿島でした。
東北などの寒冷地は喫煙率が高い!~タバコが唯一の娯楽?~
東北地方には娯楽がない!?
北海道や東北地方は概して喫煙率が高い。基本的に無教養な人間ほど、健康を意識しない社会の底辺の人ほどタバコをよく吸う傾向にある。
なぜ北海道と東北が喫煙率が高いかを具体的に説明すると、娯楽がないからだ。
退屈で安価に楽しめる娯楽がタバコくらいしかないのだ。
特に東北地方は給与所得も低く、旅行や楽器演奏といった娯楽にも縁がない。それらを楽しめるのは公務員や一流大企業に勤めている人達だけである。岩手県や秋田県の一般市民にとって手が届かない娯楽なのだ。
しかしタバコを楽しむのに必要なのはお金とライターだけである。何も考えなくていい。体を動かさなくていい。非生産的で怠惰な娯楽である。だから東北民、特に愚鈍な岩手県民に好まれる。
岩手県民の楽しみは酒とタバコ
岩手県民にとっての娯楽は酒とタバコだ。ギャンブルと書きたかったが東北では競艇やオートレースが楽しめない。競馬と競輪しかないが、競馬は盛り上がりに欠けるし、盛岡競馬場は場所が悪い。仙北町の裏手から直行バスが出ているが時刻が限定的だ。競艇は石鳥谷まで行かなければならない。しかも駅からも遠い。
東北の特に北東北、つまり岩手、秋田、青森は都会で行われているイベントなどには縁がない地域だ。要するに文化がない地域だ。
東京で常に最新の展覧会が催される。クラシックな芸術からFFなどのゲームに関わるものまで幅広い。洗練されていながらも雑種なカテゴリーから自分の好みに合った芸術を楽しめる。
しかし東北ではそれがない。
社会の底辺で働くとタバコしか趣味を持てない
私がアルバイトをしていた盛岡市の某青果店では社員が「くわえたばこ」で仕事をしていた。社長もである。野菜を運ぶときもタバコを吸うのである。社会の底辺職の人はまさにタバコ漬けである。加えて言うならそうした男と結婚する女も喫煙するものだ。そしてそうした親を見た子供も将来は喫煙してしまうだろう。まさに健康における「負の連鎖」が始まる。
タバコは愚か者の娯楽
なぜ人はタバコを吸うのだろう。かっこつけもあるが大人の喫煙理由はストレス発散だ。幼稚で非生産的な非文化的な娯楽である。
家庭を、子供の幸せを考えないバカ親は概してタバコを吸いがちだ。自分の健康を大切にしない親が子供を大事にするだろうか?子供の成長をも届けるまで親は健康である必要があろう。その認識が喫煙バカ親にはない。常に自分の気持ちよさしか頭にないのだ。
喫煙する母親に子を育てる資格はない。女がタバコをくわえる姿は世界一滑稽だ。全く似合わない。「あー女やるのめんどせー」みたいな気持ちが見え隠れする。基本的に勝気な女は喫煙する傾向にある。女の喫煙は思い通りにならない現実からの逃避と等しい下卑た姿だ。
喫煙しない親。それが子供の幸せにつながる
喫煙バカ女は自分の母親がタバコを咥える姿を見て、子供が何を感じるかわからないのだろう。喫煙する姿は家庭を放棄する態度に思えるものだ。バカ女に子供を持たせてはいけない。喫煙する女には子供を持たせない法律を作ってほしい。
タバコは文化を腐らせる
人の健康を蝕み有害な煙を地球上にまき散らす。人間の生み出した「身勝手な娯楽産物」だ。何も生産的でなく、ただ煙を吸うだけの「臭い習慣」だ
タバコを吸う姿は頭が悪そうに見える。煙を吐く瞬間がまさにバカ丸出しだ。
もしあなたがまともな品を持った人間でありたいのなら絶対にタバコは吸うな。
今喫煙率は下がり続けていて、喫煙者は周囲から信頼を勝ち取れない。タバコは社会の底辺の証だ。
自分の誇りのために、健康のために、家族のために喫煙はやめよ。
職業に貴賤はある!~岩手県で稼げる仕事は「ホスト」しかない?~
職業ごとに集まってくる人間の差は確実にある
残念ながら、まぎれもない事実だと思う。
もともと概念上、職業ごとの貴賤はない。私だってそう思う。でも現実には職業ごとに集まってくる人間の質に必ず差が現れる。
ニュースで報道される事件の犯人には解体工が多い。
幼児虐待やネグレクトを行う家庭の多くはパチンコ狂いのブルーカラー層だ。
残念ながら岩手県(県庁所在地の盛岡市でさえ)ではそうした社会の底辺・ブルーカラー層が多く暮らしている。
つまり岩手県民の「人間の質」はおそろしく低い。
優秀な人間は一流大企業へ
頭脳明晰、スポーツ万能、人柄優秀な人間は、必ず一流大企業に入社する(三菱商事、三井物産、住友商事、メガバンク etc)。
低知能なゴミクズは決まって地方の中小企業に行く。能力のなおバカさんは仕事を選べない。
職業に貴賎はない?
残念ながらそれは社会の底辺にいる人達の言い訳である。
原則として、その仕事に社会的な意義があるかどうかは、その人が大企業に勤めているかどうかで判別できる。中小企業は概して下請けであり、「自社の利益のために大企業に取り入るだけ」の存在だ。中小企業が存在しなくても社会は回る。だぜなら、余人をもって変えがたい仕事をしているのは中小企業ではなく、大企業であるからだ。
そして、下品な輩はホストなどの水商売に行くことが多い。
水商売は卑しい仕事~岩手で唯一の稼げる仕事~
医者や弁護士、教師は貴い仕事だ。
しかしホストやキャバ嬢は、低知能で下品で野卑な人間が集う卑しい仕事だ。
なぜか?余人をもって変えがたい仕事ではなく、社会や人の命を支えていないからだ。
社会のために困窮者のために一所懸命に働く人間こそが貴い。犯罪者予備軍の集まりで、暴力団とも関わりを持つことも多い水商売は間違いなく卑しい仕事である。
とにかくホストは自己中心的で無知性な輩が多い。
ちょっとググればすぐ見つかるが、ホストが起こす事件はめちゃめちゃ多い。恐喝に始まり殺人事件まである。バカは自分の欲求に歯止めが利かないのだ。
そして、そこで働く人間も総じて人間のクズだ。社会のゴミである。困ったことに岩手県ではこうした水商売で働く人間が高給取りになる。介護や中小企業で働く人間はなかなか貯蓄も出来ない人生になる。
ここ岩手県、特に盛岡市ではお金を持っている若者の多くはホストやキャバ嬢などの水商売の連中だ。
岩手県在住で、もしあなたが20代ならホストやキャバ嬢で稼ぐしかないだろう。それしか大きくお金を稼ぐ手段はない。
岩手の若者は日本一不幸だ。人としての尊厳を保ちながら社会に貢献する「いい仕事」になかなか就けないからだ。
水商売は何も生まない
現代日本でもっとも非生産的で日本の恥である水商売はさっさと法規制されて潰れたほうがよい。生きる価値のないゴミクズを金持ちにさせる社会の残滓である。
しかも若いうちしかできないし、社会的信用もない。一時的な仕事としてしかできないだろう。
岩手県盛岡市を出て、「いい仕事」を!
社会的存在意義のある「いい仕事」はやっぱり東京にたくさんある。
東京に来れば多種多様で貴い「いい仕事」に出会える。
岩手県を、盛岡市を脱出しよう。岩手県には稼げるまともな仕事が無い。
人生は一度きりだから、誰に対しても恥ずかしくない「貴い仕事」「いい仕事」をしろ。
東京に来てもっと自分を視野を広げ、自分の可能性を広げよ。
岩手の人口減がヤバイ!~でも別に問題ないよね?~
岩手県の人口減少はしゃれにならない
岩手県の総人口はそろそろ125万人を割るそうな。
でも何も不思議ではないよ。仕事と魅力のない町からは人が流出するのが当然であるから。
自然減のほかに社会減が多いのが岩手県の特徴。就職や進学で一度県外に出るとなかなか岩手に戻ってこない。岩手県民は所得が低いから子供を3人4人と育てられない。そしてそれが人口減少という流れを加速させる。
でも人口減の一体何が悪いのか?
そもそも日本における可住面積が小さすぎる。日本全体で5000万人くらい、岩手では30万人くらいが個人的にはちょうど良いと思うがどうだろう。
もし首都圏(一都3県)が総人口2000万人くらいになれば、すごい空間的ゆとりが出て住みやすくなると思う。満員電車はなくなり首都高はガラガラ笑。そんな理想的な?未来が実は待っているかも。
都会における、イライラ感は異常な人口過密具合から生じるストレスで生まれている。
これからの人口減少でイライラ、ストレスは間違いなく減ると思う。
岩手の人口を増やす必要は実は全くない
※写真は横浜の中華街です。
そもそも今までの人口が多すぎだった。
けんじワールド、八幡平リゾートとその付近の別荘などはバブルの遺産だった。無理くり騒いで盛り上げていただけ。
盛岡市の人口30万人越えも合併をしただけの話。もともと住む魅力がない地域なんだから、これから本来の値に戻っていく。そう考えれば人口減少は良いことだ。
岩手はgoogle mapで見ればわかるけど森林や山間部ばかり。そこを無理やり切り開いて人が勝手に住みついた。それなのにもともと人間が130万人いることがまるで当たり前かのような世間の論調には驚くばかり。
寒冷地に稲作は適さない
岩手県全体で30万人もいればいい。気候的に適さない稲作を無理に行う必要もない。うまいコメを求めるあまり、農家の人に苦労を押し付けるのは間違っている。コメはそもそも亜熱帯の作物だ。
寒冷地では稲作はあまりにも不利だ。
岩手の気候や土地に合った労働をしてほしい。農家の人は無理をしなくていい。マイペースで土地にあった農業をしてほしい。そしてもっと牛を育ててほしい。前沢牛を日本の代表肉にする勢いで。
岩手の農家人口が減るのも受け入れよう。仕方の無い事だ、それが岩手の運命だろう。
人口減に抗わず、あるがままを受け入れよう。それが岩手の生きる道
岩手から自然減で老人がすっかりいなくなり、近い未来に移民が多数居住する頃には理想の居住地になっているかもしれない。もちろん医療や教育の問題はあるだろうけれど。
ただ、私個人の希望としては、岩手県は人が住まない「自然」そのものになることだ。岩手県が「手付かずの自然が残る地域」になればいい。
岩手県は無理に観光業で盛り上げなくていい。工場誘致ももうたくさんだ。
その土地に即した産業で、本来見合った人口で悠然と時間が流れていればいい。私はそれが岩手県のこれからの在り方だと思っている。
~失礼厨という害虫についての私見~
”岩手県民は稲作をするな”というと「それは真摯にがんばっている農家の方に失礼」と主張するお馬鹿さんが一定数いる。私はそういう人たちを「失礼厨」と呼んでいる。
似た話で、”牛乳は不健康”と言うと、「それは酪農家に失礼」と言ってくる人もいる。
とある底辺高校について昔の実情を言えば「それは今頑張っている人に失礼」と言ってくるお馬鹿さんもいる。
宇多田ヒカルがDQN(キラキラ)ネームに対し、「かわいそう」と言ったことに、「こどもに失礼」と言ってくるお馬鹿さんも同じである。意味不明なキラキラネームでは将来こどもがいじめられるかもしれない。就職で不利益を被るかもという、人生の先輩からみた懸命なアドバイスであろう。そのアドバイスを拒否することこそがまさに失礼で、失礼厨の頭の弱さを露呈している。
「それは失礼」という言葉は妙に便利な言葉で、「あなたの意見は聞くに値しない」というメッセージを受け手に対しほとんど直接的に、しかも高圧的に与える。それまでの議論を停止させる言葉だ。
礼儀は「所作」で判断される。議論の内容で何が失礼かは判断できない。
コミュニケーションにおいて礼儀を保てているかどうかは、言い方等の「所作」で判断される。事実内容を失礼かどうかを判断することは誰もできない。
伝えられた事実を聞きもせず失礼だと切り捨てるほうが、よほど発言者に失礼だ。
その事実が真実なら、心して傾聴し発言者に感謝しよう。一つ賢くなったのだから。
もしむかっ腹が立ち、どうしても言いたければ議論が終わってから一言添えるように、それも個人的に言うべきであろう。
議論の中では意見は論理的に述べよ。それこそが相手を真に打ち負かし、周囲の人間の信頼を勝ち得る唯一の手段だ。
※参考以下d.hatena.ne.jp