岩手の人口減がヤバイ!~でも別に問題ないよね?~
岩手県の人口減少はしゃれにならない
岩手県の総人口はそろそろ125万人を割るそうな。
でも何も不思議ではないよ。仕事と魅力のない町からは人が流出するのが当然であるから。
自然減のほかに社会減が多いのが岩手県の特徴。就職や進学で一度県外に出るとなかなか岩手に戻ってこない。岩手県民は所得が低いから子供を3人4人と育てられない。そしてそれが人口減少という流れを加速させる。
でも人口減の一体何が悪いのか?
そもそも日本における可住面積が小さすぎる。日本全体で5000万人くらい、岩手では30万人くらいが個人的にはちょうど良いと思うがどうだろう。
もし首都圏(一都3県)が総人口2000万人くらいになれば、すごい空間的ゆとりが出て住みやすくなると思う。満員電車はなくなり首都高はガラガラ笑。そんな理想的な?未来が実は待っているかも。
都会における、イライラ感は異常な人口過密具合から生じるストレスで生まれている。
これからの人口減少でイライラ、ストレスは間違いなく減ると思う。
岩手の人口を増やす必要は実は全くない
※写真は横浜の中華街です。
そもそも今までの人口が多すぎだった。
けんじワールド、八幡平リゾートとその付近の別荘などはバブルの遺産だった。無理くり騒いで盛り上げていただけ。
盛岡市の人口30万人越えも合併をしただけの話。もともと住む魅力がない地域なんだから、これから本来の値に戻っていく。そう考えれば人口減少は良いことだ。
岩手はgoogle mapで見ればわかるけど森林や山間部ばかり。そこを無理やり切り開いて人が勝手に住みついた。それなのにもともと人間が130万人いることがまるで当たり前かのような世間の論調には驚くばかり。
寒冷地に稲作は適さない
岩手県全体で30万人もいればいい。気候的に適さない稲作を無理に行う必要もない。うまいコメを求めるあまり、農家の人に苦労を押し付けるのは間違っている。コメはそもそも亜熱帯の作物だ。
寒冷地では稲作はあまりにも不利だ。
岩手の気候や土地に合った労働をしてほしい。農家の人は無理をしなくていい。マイペースで土地にあった農業をしてほしい。そしてもっと牛を育ててほしい。前沢牛を日本の代表肉にする勢いで。
岩手の農家人口が減るのも受け入れよう。仕方の無い事だ、それが岩手の運命だろう。
人口減に抗わず、あるがままを受け入れよう。それが岩手の生きる道
岩手から自然減で老人がすっかりいなくなり、近い未来に移民が多数居住する頃には理想の居住地になっているかもしれない。もちろん医療や教育の問題はあるだろうけれど。
ただ、私個人の希望としては、岩手県は人が住まない「自然」そのものになることだ。岩手県が「手付かずの自然が残る地域」になればいい。
岩手県は無理に観光業で盛り上げなくていい。工場誘致ももうたくさんだ。
その土地に即した産業で、本来見合った人口で悠然と時間が流れていればいい。私はそれが岩手県のこれからの在り方だと思っている。
~失礼厨という害虫についての私見~
”岩手県民は稲作をするな”というと「それは真摯にがんばっている農家の方に失礼」と主張するお馬鹿さんが一定数いる。私はそういう人たちを「失礼厨」と呼んでいる。
似た話で、”牛乳は不健康”と言うと、「それは酪農家に失礼」と言ってくる人もいる。
とある底辺高校について昔の実情を言えば「それは今頑張っている人に失礼」と言ってくるお馬鹿さんもいる。
宇多田ヒカルがDQN(キラキラ)ネームに対し、「かわいそう」と言ったことに、「こどもに失礼」と言ってくるお馬鹿さんも同じである。意味不明なキラキラネームでは将来こどもがいじめられるかもしれない。就職で不利益を被るかもという、人生の先輩からみた懸命なアドバイスであろう。そのアドバイスを拒否することこそがまさに失礼で、失礼厨の頭の弱さを露呈している。
「それは失礼」という言葉は妙に便利な言葉で、「あなたの意見は聞くに値しない」というメッセージを受け手に対しほとんど直接的に、しかも高圧的に与える。それまでの議論を停止させる言葉だ。
礼儀は「所作」で判断される。議論の内容で何が失礼かは判断できない。
コミュニケーションにおいて礼儀を保てているかどうかは、言い方等の「所作」で判断される。事実内容を失礼かどうかを判断することは誰もできない。
伝えられた事実を聞きもせず失礼だと切り捨てるほうが、よほど発言者に失礼だ。
その事実が真実なら、心して傾聴し発言者に感謝しよう。一つ賢くなったのだから。
もしむかっ腹が立ち、どうしても言いたければ議論が終わってから一言添えるように、それも個人的に言うべきであろう。
議論の中では意見は論理的に述べよ。それこそが相手を真に打ち負かし、周囲の人間の信頼を勝ち得る唯一の手段だ。
※参考以下d.hatena.ne.jp