盛岡さんぽを読んで~高校生のころに思っていたこと
岩手に居住を決める理由って?
「なぜ自分の親は岩手に居住したのだろう」
ずっと疑問だった。だって一流大学も一流企業もない。
確かに親自身盛岡市出身だけど若いころ東京の大学に通っていた。そのまま東京で結婚し子育てしていれば、こども(つまり私)に多様な選択肢を残せていただろうに。
岩手には志高い人間が進学する大学、有能な人間が入る会社が無い。
そもそも岩手出身というのがとても恥ずかしくて情けない。東京の大学でクラスの人に出身を言うのが恥ずかしかった。岩手が、まともな大学や会社が無い土地であることは常識。そんな土地で育ったということは、親がまともな知性を持っていないということを示すことになるからだ。
ある人は盛岡は自然に溢れているという。でも東京にも存分にある(多摩地域)。
東京は空気は汚いけれど意外と水はおいしいし街は洗練されていて、日々変化がある場所だ。
「盛岡さんぽ」?なんじゃそりゃ??
最近「盛岡さんぽ」とかいう本が出版されたらしい。読了後、とても恥ずかしくなった。東京育ちの人が自分に酔って、一生懸命盛岡を「作品化」しようとしている本であると感じたからだ。空が広いとか景色がいいとか⋯。そんなのどこにでもある。盛岡市に固有の特徴ではないよ。
ではなぜその人は盛岡の特徴のように書くのか?
それは、
盛岡が都心から割と近く(二時間半)別荘地的な位置づけであること、
今までフューチャーされてこなかった未開の地域であること
の2点だ。「あれ、盛岡って意外と街になってるじゃん」という、ある種都会人の、上から目線の意見に過ぎないのではないか。
「盛岡さんぽ」自体はしっかりまとまっていて、おいしい飲食店も紹介され読み物としては楽しい。でもそれを真に受けて盛岡に居住してはいけない。大学や医療機関に一流のものが無いからだ。おまけに生活費も高い(主に光熱費)。
盛岡市は、庶民にはとても経済的に辛い地域だ。
子供を都会の大学に一人暮らしで通わせてやれるほど裕福でないなら、子供をまともに育てられる地域ではないのだ。
岩手、盛岡に住む人は岩手大学や岩手県立大、盛岡大学をまともな大学だと思っている(看護や獣医はまともだと思う)。
岩手県民は外の世界を知らないから、大学が本来何をするべきところなのかを知らないのだ。高卒で結婚し子を持つことが人生のピークだと思っているような低知能・低感性の愚民で溢れている街である。まともな知性を持つものにとっては社会人になってからが人生である。野心あふれる人間にはつらい流刑地だ。
「盛岡さんぽ」などという浅はかで自己陶酔型のメディアに騙されるな。
岩手県はまともな知性・感性を持つものに取っては生き地獄だ。