勤勉さは強欲さの裏返し
本当に日本人は勤勉なのか?
日本人は勤勉だとよく言われる。でも私はそうは思わない。
「自然と勤勉になったわけではなく、社会の強すぎる要請に応えるためしぶしぶ勤勉になっただけだ。」
日本人は店員に対する要求が世界一高いと私は思う。時給800円のバイト店員にさえプロのホテルマンと同レベルの接客を求める国は日本だけだ。
日本人は概してケチで、少ない支払いで最高のサービスを受けようとする。資本主義社会においてそれは、その労働者の賃金を少なくし過剰な労働を強いることでしか成立しない。
つまりサービスの受け手側の度を超えた強欲さが、労働者に異常ともいえる勤勉さを強いているわけだ。
少ない支払ではそのサービスも低レベルなのが当たり前だ。逆を言えば労働者が高いサービス提供を求められたら、高い報酬を雇用者に要求していい。いや、しなければならない。それが健全な資本主義の発展になくてはならない要素だから。
低レベルなサービス・商品は労働者と消費者の間で吟味され淘汰されていくべきだ。しかし日本では生産性の低い会社でがんばりすぎる人が多い。低賃金給与の会社でも最上のサービス提供を求められている。それはミクロな視点では美徳かもしれない。しかし社会全体の発展を考えるなら、健康を蝕み文化を衰退に追い込む日本の恥であり、因習であろう。
何も考えず低賃金で馬車馬のごとく働くことは、労働者の自己満足以外の何物でもない。
偽(ぎ)先進国、日本
日本は「偽(ぎ)先進国」だ。
私たちが自覚している日本が先進国という認識はウソ・偽りである。無理をして対外的に、そう見せているだけである。
過剰な労働で無理やり先進国の仲間入りした気分になっているだけの幼稚な国だ。日本人の心根は、身の丈に合わない高いプライドの横溢である。
そして法意識が薄い日本では情や情けで物事を裁定しがちだ。それは結局人の命を脅かさす「ブラック労働」につながっていく。
衰退する中で現れる日本の正体
これから少子化に伴う労働力の低下で日本の生産性はどんどん下がっていく。また、労働に対する法制度も厳しくなっている。その過程で少しずつ暴かれていくだろう、日本の本来の生産性が。本当は先進国ではなかったことが。
もし日本人が欧米先進国と同じ働き方をしていたら、先進国ではいられなかっただろう。
これから10年前後かけて、それが少しずつ明らかになっていく過程を日本の衰退と併せて私たちは目撃することになるだろう。
日本の在り方を自分たちで見つめ直し、進むべき方向、労働と社会の在り方を考えなおす時期が今なのだろう。
財布は小銭入れを使うべし
常に持ち歩く「財布」のカタチを考え直してみよう
財布、何使ってますか?
長財布?二つ折り?それともマネークリップ???
私はどれでもありません。
小銭入れを使っています!
ある程度都市部に住んでいるのであれば、最小限のカードとお札数枚と小銭。これだけで大丈夫です。
キャッシュレスが進みつつある現代では、スイカとクレカ、またはデビットカードがあれば日常で現金を使うことはほぼなく、喫茶店くらいです。
お札は4つ折りで入れることになります。
お札が折り目がつくので風水とかを気にする人には不向きかもしれません。
カードは左右の内ポケに2枚重ねて入れて外ポケには交通ICを入れます。(スイカ・パスモなど)
小銭入れを普段使いにすれば、長財布のように移動時にバッグを持つ必要が無くなり、2つ折り財布のようにズボンのポケットを膨らますこともありません。
なぜなら小銭入れならズボンの前のポケットに入れられるからです。
財布は「前ポケット」に入るかが大切
ポケットに入れっぱなしで座った時にも腰に負担がかからないし、何より軽い。ズボンがずり下がってくることもまずありません。
ズボンのシルエットも乱しません!!
バッグなんて持たずに気軽に出かけられます。荷物を持つという精神的障害がなくなるだけで人間の行動力は格段にアップします。ちょっと映画行くかな、とか予定にないけどタイ料理食べに遠出するか、、、などなど。精神的に身軽になるのです!
(もちろん、いずれ現金がなくなり、スマホとカードしか持たない時代が来るでしょうけど。)
無理に勧めはしませんが、小銭いれをメインの財布にしてみてください。多分日常が変わります。
このLeeの小銭入れは安価で程よいサイズであり、とっても使いやすいです。
仕事と会社は、どのくらいの期間経験すれば本質がわかるのか?
仕事の本質を知るためにどのくらいの時間が必要なのか?
よくあるのが、「たった3か月やったくらいで何がわかるのか?」という文脈を無視した気味の悪い問いだ。
逆に聞きたいのだが、では一体どれくらい経験すれば仕事を語ってよいのだろう。それを決める根拠は何なのだろう?
3年と応える人に聞きたい。なぜ3年?
それって3(さん)という語感やリズムで決めてない?
4になることは絶対にない。だって語感が悪いし、何より日本においては不吉な数字だから。「石の上にも3年」ということわざに真実はなく、そこにあるのは語感とリズムだけ。
日本語は普段の会話において抑揚がなくリズムに乏しいので、ちょっと語感のいい言葉や音の響きに惑わされてしまう。語感とリズムの乗った言葉を真実と錯覚してしまうのだ。
石の上にも3年ということわざは、経験則で言わせてもらうと頭の弱い人、自分で論理思考の出来ない人が信じ易いエセ金言(きんげん)である。
結局私が言いたいのは、仕事の本質を見極めるのに必要な期間は、
「職種・業種・企業規模」で異なるということだ。
社員10人程度の小売り業であれば1週間で実態はわかる。
対して1万人規模の東証一部上場総合商社やメーカーの総合職であれば、数か月から数年かけさまざまな部署を経験を積むことを考慮すれば3年程度は必要だろう。
社員100人程度の印刷業や不動産業であれば半年もあれば十分だ。
上記の意見はすべてフルタイムの正社員についてである。
もしこれが50人にも満たない個人経営の会社で、週3程度の小売りや運送、事務のアルバイトならば1か月で全てが分かるだろう。
警備員なんて1週間でみんなプロになれる。
過ごした時間の濃さが何より重要だよ
仕事の本質を知るために大事なものは経験期間ではなく、過ごした時間の密度・濃さであると私は思う。
だらだら空費した時間には何の価値もないだろう。正社員であればちょっとさぼったくらいではクビにはならないため、仕事に手を抜くことができる。その時間はその仕事を経験したと言えるだろうか?本気で取り組む時間だけが尊いと思う。
たった単純肉体労働の1か月のアルバイトでも、本気で取り組めば本質は見抜くことができる。
正社員で5年は働いたという主張に価値は無い。その中でどれほど一生懸命取り組んだか、それだけが大切だ。形式でなく本質を見よう。
日本文化は概して形式主義だが、そろそろ国際化に合わせ柔軟な思考を身に付けよう。
プーと大人になった僕
「プーと大人になった僕」を見てきました。
【以下若干ネタバレあるかも?】
とてもわかりやすい物語で、シンプルな構成であったため、「くまのプーさん」のディズニー作品をあまり見たことがない私でも楽しめました。予備知識は全然必要なくて、はちみつが好きという点さえ知っていれば問題なしです。
ざっくり言うと仕事と家庭の両立で悩みながら最終的に、家族の大切さに改めて気づくというものです。斬新なストーリではないけども、プーをはじめとするディズニーキャラクターのおかげで退屈は一切しませんでした。上映時間もちょうどいい感じですね。
大方の想像通り、大笑いするような映画ではありません。
では泣けるか? と問われても微妙ですね。
でも感動作であることは間違いないので、ユアンマクレガーのファンなら見て損はないと思います。
娘役の「マデリン」がちょっと乱暴な感じの子でしたが、やはり物語をハッピーエンドに導く大切な存在でした(もちろん「イブリン」も)。
余談ですが、やはり映画中にもたくさん出てくる「欧米の建築物」はかっこいいですね。次、人生がまたあるなら欧米圏に生まれたいです。(エストニアやチェコ、オランダ等)
土曜のレイトショーで観に行きましたが結構混んでいましたが、プーさんとユアンマクレガーファンなら、ぜひ観に行きましょう。
以前より安価になったのでぜひブルーレイで見ましょう。レンタルではまた見たい、とふと思い立った時に見れません。なので購入することをお勧めします。子供と一緒に見て楽しむことができる最高の作品です。
同族経営者一族は偉い?
地方の会社は同族経営
地方では、特に岩手県では同族経営の中小企業が大半だ。それらの会社に入社すると自動的にその経営者一族の奴隷になる。
この奴隷化に意義を唱える人は、岩手など東北地方では少ない。
社長は偉い
経営者は人として偉い
と無条件に飲み込む奴隷思考の人間が多い。
資本主義経済で任意の市場に参入し会社を運営している以上、会社は社会の公器だ。上場非上場は関係ない。
儲かると踏んだから、その市場で会社を設立しただけ。それなのに社長様と崇めるバカ社員が多いのが岩手の中小企業の特徴だ。
岩手県民はとにかく論理思考が苦手だ。帰納、演繹、弁証法?なにそれ?て感じでなにも思考できない。
逆に考えれば資本家から見たら天国だ、なぜなら、思う存分に人を労働者としてこき使えるからだ。
この仕組みは地方において顕著で都会では稀薄である。都会では特に一流企業において家族経営は少ない。社長会長、役員は血縁関係なく仕事の中で選抜された優秀な人間が就く。
しかし地方では無能な血縁者が社長になるものだから危うい。
使われる社員もバカだが社長もバカであることが多いから救いようがない。仕事を与えてくれてありがとございます~的なバカ市民が特に岩手県民には多いため、資本家・富裕層には天国だ。
資本家はバカを搾取しますます富んでいく。これが地方経済の正体だ。
たまたま持って生まれたお金という人工物の所有に関して、我々市民は意識を変えるべきだ。徳を積めば神様がお金をもたらすというお馬鹿さんが地方には多すぎる。
えてして資本家の子供は努力せずお金を持ってしまう。これは当然不公平だ。このお金の流れは子の努力で得られたものではない。この仕組みは自然に決められたものではなく、お金が社会の中でしか通用しない人工物である以上、法律を使って人間が勝手に決めたものであることを決して忘れてはならない。
そこに批判的でいる態度は常に持つべきだ。
相続税を100%に!!
だから私は相続税を100%にする法律を提案したい。これからお金はますます電子化され個人番号で資産を把握される。お金の動きを国が完全把握できる時代になっていくわけだ。
子供が選択できない血筋や家柄なんかで人生が決まる社会は労働者の勤労意欲を削ぐだろう。無理に労働者を洗脳する際に入り込んでくるものが洗脳ビジネスである宗教だ。
社会の不平等と労働者の不満が合わさった時、宗教という文明のゴミを頭をもたげてくる。
相続争いも宗教は本質的には経済的不平等が要因で起こり得るものである。
社会の構成員が全員0スタートで、公平に競争する社会になってほしいと思うがいつか叶うだろうか?
盛岡の「さんさ踊り」って面白い?
さんさ踊りは参加しなければつまらない
今回は盛岡市の知名度ゼロの超マイナーな夏祭り、「さんさ踊り」について書きたいと思います。
ここ数年では外人の参加者も目にするようになってきましたね。
でも、さんさ踊りは東北地方ではメジャーな祭りだけど、全国的な知名度は皆無に等しい。それもそのはずで、「東北三大祭り」の括りに入っていないからだ。行政側の宣伝が下手とも言えます。
さんさ踊りは私見ですが、参加して初めて楽しめる祭りであると感じています。
見ていても踊り自体に規則性、統一感がまるでないため、「退屈」なのです。
美しいいかと問われたら微妙。かっこいいかと問われても、なんとも言えない。
その微妙なレベルのビジュアルがあまり多くの人をひきつけない現実があります。
もっと雅で華やかな装いをすれば話題にはなるでしょう。でもそれをしたら本来の祭りの意義が失われるかもしれない。
私個人的には「さんさ踊り」はつまらない祭りの一つです。なぜなら参加しないから。
東北の文化に興味がまるでない私にとっては街に混雑を催すだけのウザイ祭りです。でも子供のころ何度も見に行った秋田の竿灯まつりは最高です。おもちゃのミニ竿灯買ったなあ。あと、青森ねぶたもいいです。
東北の文化は「形だけを整える」ものが多い気がします。日本全体かな?
欧米のように、もっと心から感情移入して楽しめる祭りがあればいいのにな、と思う次第です。
八幡平ロイヤルホテルの名前が変わってた
盛岡市民には欠かせない存在「八幡平」
暫くいってなかった八幡平。子供の頃から幾度となく泊まった八幡平リゾート、そしてロイヤルホテル。盛岡市民なら小学生のころは学年全員でスキーをしに行きましたよね?
名称変更!?アクティブリゾーツって何?
【公式】アクティブリゾーツ 岩手八幡平|岩手・八幡平の高原リゾートホテル
すっかり別の名前に変更になりましたね。岩手日報に載ってましたっけ?気づかなかった。
「アクティブリゾーツ 岩手八幡平」になりましたが、実質的には何も変更は無いようで安心しました。名前だけ変更する狙いは何のか笑。
それにしてもこの名称って「首都大学 東京」みたいな感じがしませんか笑?
なんだろう、地名を最後にもってくるのが流行りなのかな?外人観光客受けを狙って、欧米圏の名称に倣ったとも考えられますね。
八幡平は個人的にも思い入れがある場所です。子供のころは家族で何度も行きました。スキーに温泉、クワガタ採り。名称が変わるだけなのになんだか寂しくなりますね。
そういえばホテルそばの芝生、駐車場から向かって右側にある岩の上で小さなクワガタを見つけたことが有ります。今から20年ほど前の話。またクワガタ採集に行きたいですね。この辺はミヤマも採集でき、なかなかいいスポットだと思います。
また芝生にはちょくちょく野生動物のものと思しき糞が落ちています。実際ロイヤルホテルでも熊注意の張り紙があったので熊には本当に注意です。鈴とかあんまり意味ないらしいですから出くわさないように夜間はなるべく出歩かないことが懸命でしょう。
ロイヤルホテルへの道中「硫黄の臭い」がする箇所があると思います。向かう道から見て最後の左カーブ(並木に入る直前)の場所です。ここは天然の温泉がわいてくる場所みたいで、そこを通るたびに臭いだけでリラックス出来ます。
プータロ村はどうなった?
そういえばぷーたろ村はどうなったんだろう?
迷路(超簡単)とかトランポリンとか懐かしいな。
秋ころ行ってみようかな。だれか近況を教えてほしい。
プータロ村へ向かう道ではたくさんの別荘を見かけることができます。でもあまり人がいないような?気もします。バブルの頃にはにぎわったようですが、現在は経営上やはり厳しいかもしれませんね。
八幡平は自然全てが揃っていて家族連れでも一人でも一日中エンジョイできます。なにより空気がきれいなんですよね。東京のガス臭さからみたら天国です。